手に大怪我を負ったばあちゃんが心配で仕方がないけれど、病院に行かせてもらえなかった8歳のワタクシ。藤沢青年はそれを見かねて、病院に連れて行ってくれると言ったのでした。

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おまえなんか行ったら迷惑だと母に言われたと話しますと…

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藤沢青年は、迷惑そうだったらオレが教えてやると言ってくれました。

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自転車を漕ぐ藤沢青年の背中は、ちょっと汗ばんで、ちょっと工場で使う接着剤の匂いがして、ちょっと堅かったのを覚えています。

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ばあちゃんは、思ったより元気そうで、声もちゃんといつもの声でした。

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顔を見たら、なんか、あんまり言葉が出てきませんでした。

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特に、聞きたかったことを聞こうとすると、なんか熱くてでかいものが胸から喉、喉から顔にこみ上げてきてしまい、上手に聞けなかったのでございます。

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ばあちゃんは、お尻の肉を指に移植する手術をして、しばらく入院するけれど、必ず戻ってくると言いました。

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そう聞いて安心したからなのか、「いつか母の取り巻きのおばさんたちが昔ばあちゃんがよくないことをしたみたいに言っていたけれど、もしそうだとしても僕には関係ない」だとか…

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「ばあちゃんが一生おいなりさんを作れなくても、それでも関係ない」とか、いろいろな思いが押し寄せてしまって、こんな言葉しか言えなかったのでございました。

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病院を出て家まで送ってもらうと、ワタクシは藤沢青年に、ばあちゃんに「作らなくていい」としか言えなかったことが心に引っかかっていることを相談しました。

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藤沢青年の返事は、たった一言でした。

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それでも、ワタクシの気持ちはパッと明るくなりました。その人が大丈夫だと言えば大丈夫だと思えるという感覚を教えてくれたのは、藤沢青年だったのでございます。

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また明日な、そう言って藤沢青年は帰って行きました。
次の年に藤沢青年は工場を退職し、ワタクシにも人生の荒波が押し寄せて家を出て行くことになりました。父と母が離婚して数年後に、ばあちゃんも定年退職しました。ひととき同じ屋根の下にいた三人は、別々の道を歩いて行ったのでございます。

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藤沢青年のその後のことを知ったのは、十代の頃、ばあちゃんが亡くなる直前のことでした。藤沢青年は工場を辞めたあとも、ばあちゃんとは連絡をとっていたのでございます。

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藤沢青年は二十代のうちに、ウィルス性の脳炎で亡くなったとのことでした。

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子どもの頃の、ほんの短い間に一緒にすごしただけの間柄でしたけれど、藤沢青年のことは何度も思い出していただけに、「寂しい」としみじみ思いました。何年も、一度も会っていないのに。

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いままで好きになった歴代の男たちは、どこかに藤沢青年を感じさせる人が多かった。なので、初めて好きになった人は、たぶん藤沢青年なのだろうと思うワタクシなのでございます。

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